三上智恵監督の「沖縄撮影日記」より

「標的の島 風かたか」の三上智恵監督がウェブマガジンに「沖縄撮影日記」を連載されていますのでご紹介いたします。

『第67回「引き受けるということ」Tシャツに込めた想い』より

バトンを受け取って走るのは、ただ走っているより数倍つらい。たとえ軽い紙の筒であってもズシリと重い。責任を持たされ、期待をもたれ、注目されるというのはそれほどにしんどいものだ。
 でも今の世の中、誰かの何かを「引き受ける」ことを、とりあえず避ける人が大半を占めた気がしている。責任は取りたくない。面倒を押し付けられたくはない。身近なマンションの管理組合の問題から原発事故の問題まで、これは何かおかしいぞ、と個人的に思ったとしても、原則として解決できない問題には首を突っ込まない、どうせ自分が何かしても変わらないと決めつけてやらない。そんな人のほうが目立つ。誰かがそれを背負って行くのを見ても見ぬ振りをするなら、見殺しが横行する社会になってしまう。そんな人ばかりが増えたら人間社会は壊れてしまうだろう。
 1997年に辺野古で結成された「命を守る会」を率いた金城裕治さん(故人)はよく言っていた。
 「戦火の中で苦しんだ先祖がいるでしょう? そのみなさんの思いを引き受けて、いま、我々の世代が頑張らなければどうするの?」
 引き受けるという言葉は、勇気も覚悟もないと口にできない重い言葉だ。でも裕治さんは、辺野古の海を埋めるなら、その前に私たちが人柱になる、と宣言しているもっと上の辺野古集落のおばあたちの気持ちを引き受けて、さらに現場で起きる摩擦や矛盾も引き受けて、本当に度量の深いリーダーとして座り込みの現場をまとめていた大人物だった。その影響もあって、支援に来ている若者たちも、僕たちがみなさんの思いを引き受けて頑張ります、とよく発言していた。私は、みんなが責任を取りたくないこの世知辛い時代に、辺野古では優しさや勇気の連鎖が起きているんだなど感動したものだ。
 そしていつしか、私も報道活動を通じてかかわった方々の思いをちゃんと引き受けて頑張る人間になりたいと理想を持つようになった。沖縄戦の苦しみや、占領下で米軍に踏みにじられた屈辱や、今なお被害を受け続ける理不尽さ、その嘆きも、問題を解決に向けて進めることも含めて、引き受けて生きて行こうと思うようになった。もちろん、結果的には何もできやしないのかも知れないが、知ってしまった以上、逃げ回れるはずもない。沖縄の尊敬する先輩方から学んだ姿勢で、私なりに引き受けていくつもりで、今も右往左往しながら一つひとつの出来事に向き合っている。
 間も無く全国公開になる映画『標的の島 風かたか』も、そんな覚悟が私に作らせている作品である。実は、今回はその私の密かな思いを込めたTシャツを製作した。自己満足の世界の話であって大変恐縮だが、このページを読んで下さっている方だけにはそっと伝えたい。

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